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あんしん想祭>そうそうコラム
あんしん葬祭のバーチャル記者が様々な視点で葬儀を見つめました。

あんしん想祭 葬儀コラム記者
葬儀本来の役割や家族葬に関するトレンドを探りながら、葬儀従事者の経験を活かしてあらゆる葬送シーンを考えてまいります。
あんしん想祭記者はインターネット上の記事において、とき折々を取り上げて皆様と考えてまいりたいと思います。ご葬儀ご法事に関するお問い合わせは、メール又はお電話にてお気軽にご利用下さい。
葬送突撃レポート ・ あんしん想祭ワンポイントアドバイス
 


■「葬儀に費用がかかる」と母の遺体放置 埼玉・所沢の男を逮捕 
平成21年6月8日
http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/090608/crm0906080014000-n1.htm

◆ あんしん想祭コラム記者
71歳の母親の遺体をそのまま自宅に放置していたらしい。
記事では死因までは、これから特定されると言う事が記されていたが、37歳の息子さんの言葉がしっくりと来ない。
葬儀に多額の費用がかかるので遺体をそのままにした。
この言葉そのものよりも、現代はあらゆる相談や工夫が出来ると記者は考えており、お葬式も同じだと思っている。
簡略化ばかりが全てではないが、経済的な事情による葬儀の変化は今後も多く考えられます。
葬儀に関する情報はまだまだ閉鎖的なのかもしれません。
故人様、逮捕された息子さん、ご遺体を発見した娘さん、全ての皆様にはお悔やみとお見舞いを申し上げます。 




■「直葬」都市部で広がり
平成21年4月21日 読売新聞、首都圏くらしページ

◆ あんしん想祭コラム記者
今回記者は、直葬について書かれている新聞紙面にスポットを当てたい。
葬儀社のいわゆる業界用語として存在をしていた「直葬」。正直を言いますと、あまり好きな言葉ではありませんでした。
ただ、その言葉の持つイメージがわかりやすく、お葬式がわかりにくいとされている生活者にも、簡単に理解されたものだと思います。昨今の小規模化や簡略化傾向の家族葬から更なる究極の葬送スタイルとして確立された感さえあります。
葬儀を文化として捉えている記者としては、この流れも現代のひとつの文化の流れであると見つめています。それぞれの価値観がどこにあるかで葬儀のスタイルはもっと変化してくる事でしょう。
ここで、ワンポイントアドバイスですが、直葬は文字通り、通夜葬儀を行わずに火葬にいたる儀式ではなく、いわゆる処理を目的とした葬送スタイルですので、遺族の決別の為の時間が用意されているわけではありません。
実際に直葬をされた方の多くはその事に驚かれている方も少なくはないと思われます。十分なご遺族間でもご相談やご決断が必要です。「直葬」を検討する。具体的に考えることをする。一部のご事情のあるか対外は今までは考えられなかった事だと思いますが、こうした流れも生活者が葬儀を事前に考える事につながり、それぞれが悔いのないお葬式を行われる為に考えるという。大きなきっかけになることを望んでおります。




■高身長の男性の足、切断して納棺?
2009年4月2日
http://www.cnn.co.jp/usa/CNN200904020019.html

◆ あんしん想祭コラム記者
衝撃のニュースを発見。
長身の男性を納棺する際に、棺に収まらないことを理由に故人の足を切断したというのです。
それも、埋葬された棺を掘り起こした検察官によりその証拠が見つかったという。
記者はありえないこととして驚きましたが、そういえば高身長で有名でしたプロレスラーの方とか、お相撲さんの納棺はどうするのでしょうか?日本は火葬が一般的ですので、棺はその火葬炉の企画にあわせて作られているようです。
米国など、埋葬をされることを習慣としている場合は、そういったあわせなくてはならない企画もないと思われるため、ただただ葬儀社の怠慢であったとしか思われません。生前契約(相談)が一般的といわれる欧米のこと、家族は事前に棺の大きさについても確認をしていたそうです。「まったく問題ない」と答えたという葬儀社は今操作中であるということ。
そうそう、日本でも大きな方の火葬についてですが、火葬場の中にはそういった企画も火葬炉もあるそうです。少し気になる方は、それを理由に生前にご相談してみてはいかがでしょうか?料金やしきたりまで伺えると高身長がきっかけで安心が得られると思います。



■孤独死について
2009年3月30日

◆ あんしん想祭コラム記者
今月、元タレントで作家でもある飯島愛さんのお別れ会が、親しい方々の呼びかけで執り行われたのは報道にもありました。数奇な人生をおくられた女性でしたが芸能界の引退と同時に全くそのお名前を見かけることはありませんでした。その最期の孤独死・・・
  高齢化社会へと向けて、同時に単身者世帯も増えてゆく事になるのであろう現在、その孤独死が問題として表面化してきている。生死にかかわるような病気が発症した場合に、意思や救急車を呼べる方が身近にいない、誰もいない、という状況であろう。あんしん想祭は葬儀と言う観点から捉えるが、葬儀がどんどん縮小傾向になっている現在では普段挨拶をしない人でも、「最期だから」と焼香に訪れたりする事もなくなってきており、ましてや近隣に住む方の健康状態を気にしたり、気にされたりするほどの交流も存在しなくなった結果に、葬儀の縮小化というものがやってきたのかもしれないと考えた。ご近所においても交流がなくお互いが無関心であると言うことだ。という多少飛躍するところはあるが笑う事と同様に涙することも、生活の中での心の何かに役に立つのかもしれないと考えている。
  そういった意味では、価格ばかりの葬儀ではなくて本当に送ることについて考える機会をもたなくてはならないと考えている。最近は孤独死について真剣にとらえている地域や団地が増えてきていると言う。そうした地域での葬送コミュニケーションが大変興味深い 。